鍵屋と玉屋

花火の代名詞ともなっている「鍵屋」と「玉屋」

だれもが一度は聞いたことの屋号だ。

花火専門業者としてその名を知られる初代鍵屋弥兵衛は、大和の国に生まれ幼少時から花火づくりが得意だったという。

江戸に出た後の万治2(1659)年、彼は葦のなかに星を入れた玩具花火を売り出した。それが大当たりして、江戸・両国の横山町に店を構え、「鍵屋」を屋号として、店は代々世襲されるようになった。

鍵屋の数ある功績のなかから一つ挙げるなら、、江戸期には困難であった、同心円状に星が飛散する花火を明治期に12代弥兵衛が開発したこと。

戦中は一時、花火製造から撤退したものの戦後に再開、現在は打ち上げ専業としてその名を伝えている。

一方、玉屋は、19世紀初め、鍵屋の手代だった清吉という人物が暖簾分けの祭、市兵衛と名乗って始めた店の屋号だ。

一時は鍵屋の人気をしのいでいたともいわれている。

しかし幕末期、玉屋は失火事故を起こしてしまう。店だけでなく町並半町分全焼の被害。当時失火は重罪とされており、市兵衛は財産没収、追放となった。